先日子供の卒園式に参加した。
幼稚園の卒園式はとても温かい。
「運動会良く頑張りましたね。」「お遊戯会すごく上手でした。」「お友達たくさんできましたね。」「小学校に入ってもきっと楽しい日々が待ってます。」「先生たちはみんなのことが大好きです。」
などなど。
すごく感動的だし、子供って守られているなと強く感じた。良い光景だし、素晴らしい思い出になると思う。
しかしながら、明日に控える大学の卒業式を考えると、残念ながら同じようにはできないなという思いを抱いた。
大学の卒業式であるが、実は例年、先生たちは「ネガティブなこと」を言う場合が多い。
「せっかくの晴れの日になんでそんなこと言うんだろう?」と思うかもしれないけれど、それは現実を伝えなければいけないからだと思う。
会社の説明会では、いかに自分の会社が素晴らしいかを聞かされたことだろう。世の中の会社のホームページを見てもいいことしか書いていない。働きがいがあって仲間たちと大きな目標に向かってともに切磋琢磨して、辛い時は助け合う。社員は家族です!なんてことが書いてる場合もあるかもしれない。
しかし、そんなはずがあるわけない。
会社は悪の組織ではないが、かといって家族集団ではない。
たとえば、第一にアットホームな会社です!なんていうのは、いい給料が払えないなど待遇・福利厚生面でアピールすることがないから言う場合も多い。また、「社員は家族」なんて標榜している場合、会社側からすれば、「家族に休みなんておかしい」、「家族が賃上げを要求するな!」という話になる。
会社に入って素晴らしい組織でみんながみんないい人であればよいが、まあ、そんなことはない。
同じ会社でも、誰かが成功すればそれを羨んでネガティブなことをする人が出現する。同僚ではなく、ライバルのような関係もある。単に自分の不満を他人にぶつけてくる人もいるだろう。「会社の敵は外ではなく内にいる」という言葉は、どの組織でもある程度の真実をついている。
嫌がらせというレベルでなくても、人は常に誰かを都合よく格付けし、マウンティングをする生き物でもある。自分が優位であることを確認して安心するのは、動物の本能かもしれない。
そんな経験を考えると、「素晴らしい未来が待ってます!」「将来成功間違いなしです!」なんて幼稚園式の言葉を贈ることは到底出来ない。もし辛い目にあった時に(だれしもが合うだろうが)、「自分だけがおかしいのではないか!?」と思ってしまうからである。
だからこそ、「社会に出て辛い目、嫌な目にあってもあなただけではなく、それは普通のことである。」ということを伝えなければいけないと思っている。
世の中が平和で満たされていれば、温かい言葉で素敵な卒業式を執り行えば良い。しかし、社会という厳しい現実に羽ばたく時である。温かい卒園式と冷たい卒業式。そんな対比を思い浮かべる、前日の昼下がりである。
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